経歴
大阪育ち、和歌山在住。猫好き。
大阪の小さな印刷屋の娘として育ちました。
父は、チラシを見ては、「これは何紙を使っていて、この色は◯色を何%と△色を何%、□を何%混ぜた色やな」「この色は何と何を混ぜ合わせてるかわかるか?」と言った会話が日常会話で、お父さんってカッコいいな~と子ども心に思ったものです。
父の手と爪はいつもインクで汚れていましたが、それを恥ずかしいとか汚いと思ったことは一度もなく、職人の手に憧れを抱いていたのを今も鮮明に覚えています。
母は、父の仕事を手伝いながらも絵や書を書いたり、篆刻という手彫りの印を受注制作したりなど手先が器用な人で、そんな両親の影響をうけてか、私も絵を書いたりものを作ることがとても好きな子どもでした。
私がデザインの道へ進んだきっかけは、ものづくりが好きだったということもありますが、高校時代の美術部顧問の先生に「小林はデザインを学ぶのがいいんじゃないか」と言っていただいたのが後押しになったと思います。そして、芸術や美術という道よりはデザインすることがしたいと大阪デザイン専門学校へと進学。
当時、インターネットが一般的に広まる前で、WEBデザイナーという職種はもちろんなく、その頃は雑誌や本が主流。PCではなくファッション雑誌を片手に…なんていう時代だったので、雑誌編集者に憧れて編集デザインを専攻しました。
それが、卒業の年になるころは、バブル時代まっさかりで、まだ信念も軸もしっかりしていない私は、時代の先端だった【花のOL(死語)】に憧れてしまい、編集デザイナーの道には進まず一般企業へと就職してしまいました。高い学費を払ってもらいながら本当に親不孝者です。
そして、いわゆる【花のOL】生活を送り、結婚、出産、専業主婦を経て、36歳の時にそれまで趣味でやっていたホームページ制作を仕事にしたいと思い、独学で勉強を重ねフリーランスWEBデザイナーになりました。
やはりデザインするのことが好きでしたので、今から考えるとおのずとこの道だったのかなと思います。
当時は、女性向けWEBデザインができるWEBデザイナーが少なかった時代と、女性の起業が増えてきたということも重なり、開業当初より仕事が途切れることなく、数ヶ月、半年先までご依頼で埋まっていました。私を見つけてくださったお客様には大変感謝しています。
開業当初よりずっとお付き合いくださるお客様や、10年近くお付き合いくださっているお客様も多くいらっしゃり、一度ご依頼いただくと長くお付き合いいただくことが多いのが、私の強みの一つかなと思っています。
長年一人で制作全てを請け負ってきたのですが、現代のWEB制作技術のスピード感についていくのは大変で、お客様に最善のご提供をするためにはどうすればよいかを考えた結果、若い方の力が必要だと悟りました。
2021年8月よりデザイン・コーディング業務は、外部の優秀なデザイナーさんにお任せして、私は、コンサルティングや企画、設計、全体の指揮をとるディレクターの業務を行うことにいたしました。
長年の経験から、サービスをどう打ち出せば効果的か、見せていくかの判断が的確だというお声をいただいており、自身でも一番好きな業務です。
ホームページって何からはじめればいいのかわからない、今あるホームページでは集客ができていないという個人事業主さま、中小企業さまは、ぜひお気軽に「お問い合わせフォーム」よりご相談ください。
一緒に帆走し、ともにホームページをお作りいたします。